選択的夫婦別姓は日本の家族制度の文化の高みを貶めるものにほかならない

2021/10/18

 今の日本は、何か言おうものなら、すぐに差別主義者のレッテルを貼って、組織的に集中砲火を浴びせられるという湿ようなリベラルの活動によって、LGBTや同性婚、選択的夫婦別姓、および脱炭素に対して反対意見を云えない空気がいつの間にか醸成されてしまっています。

 そういう空気の中で、朱印船の党首討論で、記者から選択的夫婦別姓やLGBT法案をに賛成するかと質問されて、自民党以外のすべての政党が賛成してました。これを見て私は、本当に情けなく思いました。他党にはこの国を思う気持ちは無いのか!浅薄な空気に流されて、政治家として恥ずかしくないのか!と情けなくなりました。

 そもそも真の多様性とは、普遍性を踏まえた、分をわきまえた多様性であるべきです。それなら国家・社会はうまくいきます。そういう意味での多様性はすでに日本には備わっています。わざわざ法制化する必要は全くありません。岸田総理は、そう答えるべきでした。

 ところが、今叫ばれている多様性は、普遍性に反するもの(同性婚)も、普通の結婚と同じように平等にあつかえ!という多様性です。これは悪平等であって、真の多様性ではありません。こういう多様な思考ができない硬直した平等論が、浅薄な多様性の実態です。だから、トイレの男女のマークの色も同じ色にしろという、主張になるのです。

 少子化の危機に直面している日本の社会に向かって、多様性の尊重で同性婚を認めろ!と堂々と主張できる心情が理解できません。日本の国家・社会を解体しようという目的があるのならば、納得はできます。しかし、それは認められません。

 夫婦別姓も、未来志向の多様性で各人の自由にすればよいのでは?との素朴な問いかけには、本当の自由というのは、自分の感情だけを見ることではなく、
その感情を一旦置いておいて、

自分が生まれた日本の国家・社会がどのようにして素晴らしい共同体を作ってきたかの歴史を知り、その基礎となる家族が、同じ姓の下に共同体を作り、それが世界に類を見ない戸籍制度によって守られていることの素晴らしさを知り、自らが納得して自分の感情を主体的にそれに合わせることこそが、本当の意味での自由なのです!と答えます。

 夫婦別姓の国は、ともすると姓を同じくする一族への愛が強すぎて、国を軽視する傾向があります。だから、外国に移住する場合も、郷に入らば郷に従わない傾向が強いのです。これに対して、家族が同じ姓になるために姓を変える体験を持つ日本の人びとは、しっかりと郷に入らば郷に従う柔軟性をもっています。

 つまり、選択的夫婦別姓は日本の国家の解体の未来志向の可能性が高いものと云えます。

 それは、それを推進しているグローバリストや共産主義者・リベラルが、国家の解体を志向する者たちだからです。