遺伝子は一般性、その他のDNAは遺伝子の現実性としての個別性

2019/05/07
uni

 昨夜のNHKで、遺伝子とDNAについての最新の研究の成果について放映していました。それによると、DNAの中で、遺伝子として機能するものは、わずか2%程度で、あとの98%もの大部分のDNAは、これまではごみとして扱われて、無視されてきたそうです。

 ところが、そのゴミと思われていたDNAの中に、顔の形を決めるものや、ある特定の病気の原因物質にさらされても病気にかからない働きをするものなどが見つかって、トレジャーDNAと称されるようになって、にわかにゴミが宝物に変貌して脚光を浴びるようになったそうです。

 これを聞いて私は、これは凄い!ヘーゲルの「大論理学」や「カタカムナ」の基本構造と全く同じだな!と思いました。どういうことかと云いますと、タイトルにも書いた通り、この事実の意味している者は、胃原子はその本質・一般性で、その他のDNAはその普遍性の現実性としての、個別性を形作るものだということです。

 そして何より凄いことは、この構造が、その個別性のDNAが、大論理学の現象論としての「有論」に相当し、また、カタカムナの「カタチサキ」の第5首に相当するということであり、さらまた、その遺伝子の普遍性が、大論理学の「本質論」に相当し、カタカムナの中の第6首の「カタカムナ」の内容に相当するということです。

 そして、実際の場面においてDNAの転写が行われるときは、まず一般性の遺伝子の転写に続いて、個別性・現実性のDNAの転写がワンセットに統一されて転写が行われて、現実の物質が生み出されるようになっています。

 これはまさに、大論理学の「概念論」の絶対精神が「有論」と「本質論」とを統一しながら自己運動するのと全く同じ構造であり、また、カタカムナの「アマノミナカヌシ」が「カタチサキ」の世界と「カタカムナ」の世界とに「ミスマッテ」運動するのと同じ構造なのです。

 つまり、この遺伝子とDNAの運動は、「大論理学」と「カタカムナ」の論理が、本物の真理であることを実証してくれているわけです。まさに感動モノです!