治未病とは?CMで誤った未病が流されるようになった原因

2017/09/21
未病

 昨日の記事で耳慣れない<治未病>という言葉を使いましたので、今日はその意味や背景について解説したいと思います。皆さんは未病というと、健康と病気の中間の段階というイメージを頭の中に描くのではないでしょうか?ひと頃テレビのCMで盛んにそういう宣伝をしていましたから、大半の人がそう思っているのではないかと思います。じつは、本当は違うのです。未病の本当の意味はそうではないのです。

 ですから、昨日私が書いた<治未病>の説明は次のようになっていたと思います。「天寿堂の整体は、治未病の整体です。つまり、まだ生命力が完全にやられていないところ(この生命力をまだ保持しているところを未病と言います)を整えて、すでに病んでしまったところを、自分の力で治っていけるようにする整体だということです。」どうです?違うでしょ!ですから天寿堂の整体は、健康と病気の中間の段階だけでなく、危篤の患者さんにも、凄い効果を破棄します。実際天珠療法の講習生の中に敗血症で死ぬ寸前の親戚を救ったという事例も存在します。

 この<治未病>というのは東洋医学の理想とする方法論なのです。だから上手な医師は、未病を治して患者自身の生命力で病気を治すが、下手な医師は病んでいるところばかり攻めて返って悪化させることが多い、と言う文章の一節なのです。その下手な医師の方法論を<治已病>と言います。ですから、この<治已病>というのは方法論としては、現代医学の方法論と同じなのです。

 ではどうして、日本の社会に誤った未病が流布することになってしまったのでしょうか?それには次のような事情がありました。もともとその切っ掛けをつくったのが、じつは私の漢方の師匠の粟島行春先生だったのです。そして、その誤った未病を流行らせたのが、西洋医学の薬学部の教授だった有地滋という先生です。お二人とも他界されて今はいらっしゃいません。

 その詳しいいきさつは、有地先生が粟島先生に「東洋医学もマンネリ化してきたから何かインパクトのあるものはないかね?」と尋ねてきたのだそうです。そこで粟島先生が提案したのが、この<治未病>だったのです。それは良いと有地先生も飛びついて未病医学会をつくって活動をはじめたのですが、スポンサーの健康食品メーカーの意を汲んでその意味を都合の良いようにねじ曲げていくので、粟島先生と対立するようになって、結果として粟島先生の方が身を引くことになって、それからは我が物顔に有地先生の薬学部の先生たちがマスコミを使って大宣伝をはじめだして、日本中に行き渡ることになったのです。

 ところが、その時粟島先生の研究会が中国に学術交流に行って、学会でこの<治未病>を持ち出したところ、知っている先生が皆無でしたので、粟島先生が説明すると、皆納得してくれました。ところが、その翌年また中国に行くともう日本で流布していた誤った未病が蔓延しており驚いたものでした。