グローバリズムとインターナショナリズムとの決定的な違い

2021/11/22

 今、世の政治家・官僚や企業の人たちは、グローバリストの打ちだすSGDsにある脱炭素・ジェンダー平等などのスローガンに振り回されて、右往左往しています。

 そもそもグローバリズムとは、一体どういうものなのか?この問題に関して、山岡鉄秀さんは動画の中で「技術の進化によって世界がグローバル化していることと、グローバリズムとは区別しなければならない。また、グローバリズムと混同されやすいインターナショナリズムとは、全く違うことを正しく認識しなければならない」と述べています。

 本当にその通りだと思います。では、グローバリズムとインターナショナリズムとはどう違うのでしょうか?

 世界最高の学者であるヘーゲルは、人間の本質を国家的存在であるとしました。その通りに、人類の歴史は国家の興亡の歴史であり、国家が壊されて難民となった人々は、他の国家に救ってもらわないと生きていけません。

 ところが、弟子であったマルクスは、師の人間とは何かを、「類的存在:」とボカシて歪めてしまいました。その結果、左翼の人たちは国民という言葉を嫌って、地球市民という言葉に置き合えて使っています。

 では何故マルクスは、師の言葉を歪めてしまったのでしょうか?それは、マルクスの出自が、国家を失って諸国を放浪しながらのし上がったユダヤのロスチャイルド家の血筋を引く者で、国家を否定し人類の歴史に対立を持ち込むことを使命としていたからでした。

 そう考えなければ、偉大な師の説く国家としての統合の道を、「国法論批判」の中で、いとも簡単に否定して、対立を激化することこそが解決法だ!と自信たっぷりに強調する理由が見つからないからです。

 もともとの金融グローバリストも、マルクスがその元を作り上げた共産主義グローバリストも、共通するのは国家の外に自分をおいていることです。中国が国家の上に共産党をおいているのも、金融資本家が国家の外に身をおいて、戦争する国家の双方に金や武器を渡して儲けるところに、グローバリズムの本質があります。

 これに対して、インターナショナリズムは、国家を単位として、国家がそれぞれ発展していく中で、正しく競争・協調し合いながらみんなで発展していこう!というものです。人間の本質から言って、こちらの方が正しい国際協調です。

 そのことは、実際の人類の歴史の中で、実証的に証明されていることです。18世紀以降の人類の歴史において、このグローバリズムがしてきたことは、人類を正し宇導くべき学問を破壊し、わざわざ無用な対立を作り出して世界を混乱させ、多くの出さなくても良い死者を出させて人類を不幸にしてきました。

 このグローバリストの推進する移民政策は、国家に無用な対立を持ち込んで、混乱させ国家を弱体化させようとするものです。それはすでにヨーロッパで起きていることです。

 日本においても、グローバリズムに汚染された政府当局者によって緊縮財政で日本の経済的成長を阻み、農業や建設業を潰して日本社会を弱体化し、少子化で人手不足を作って、そこにみ外国人を入れて日本社会を壊そうと、岸田清遠は移民政策を推し進めることを決めました。

 また、武蔵野市の外億陣に住民投票を認める条例も、共産主義グローバリストの市長の、日本的共同体意識の強いの国家・社会を、何とか地球市民的グローバリズムに染めて壊したいという願望によるものだと思います。

 グローバリズムから、インターナショナリズムへの転換は、日本にとって、喫緊の課題と云えます!