憲法改正の前に憲法とは何か?

2021/11/09

 総選挙で大勝した維新の副代表の吉村氏と、国民民主の玉木代表が、親中派に汚染された自民の改憲ヤルヤル詐欺を痛烈に批判して、本気でやるなら本気d向き合う!というカッコよい啖呵を切ったことが報じられて、にわかに改憲の機運が高まってきました。

 日本を取り巻く近隣諸国の善意を信頼して九条の云う通りにしていたら、日本は、ウィグル人の二の舞になりかねません。否、もうすでに手遅れ感が強い中で、やっと議論が始まりそうです。

 ここで大事なことは、その内容です。というのは、憲法とは何か?について、歪んだ見方が主流を占めている現実があるからです。

 その歪んだ見方とは、憲法とは権力者を縛るものだ、という見方です。これは、イギリスの初めての憲法が、権力を私物化する王の力を制限するというものだったことからきています。

 しかし、それよりも六百年も前に日本で作られた憲法は、「和を以て貴しとなす」という国家の理念を謳ったものでした。世界最高の大学者のヘーゲルも、国家は客観精神であり、憲法は国家の理念を説くものだとしています。

 どちらが憲法の本質と言えるでしょうか?答えは一目瞭然です。ヘーゲルの学問に沿った、日本の憲法は、日本の客観精神となって、世界に類を見ない長い歴史をもつ理想的な国家の礎となり、世界中から畏敬の念をもって見られ、信頼される日本人を作りました。

 一方、反対に、戦後の日本国憲法は、外国に頼って自分で自分を守らないという国家の理念を謳って、戦後の臆病で責任逃れを恥とも感じない日本人を作ってきました。これも、憲法とは何かの一つの例証・反証と云えるものでしょう。

 だから、憲法は中身がとても重要なのです。これからの日本人がどういう日本人になるかを決定づけるものだからです。後の人から恨まれないような良い憲法を創ってもらいたいものです。

 その基礎があって、自衛隊を国軍にするというような、具体的な国を守る条文が考えられるべきだと思います。