なぜ栄氏は反省できないのか?パワハラ追及にも問題あり

2018/06/16
ヘーゲル

 レスリングの栄監督が久方ぶりに公の場に姿を現し、謝罪らしきコメントをしたようです。しかし、問われた問題を「コミュニケーション不足だった」と弁明していたため、何も認識が変わっていない、と顰蹙を買っていました。謝罪も、大会に監督として出なければならないので、仕方なしにかっこつけで、謝罪らしき言葉を発していましたが、渋々感が否めませんでした。

 同様のケースを見かけますが、そのほとんどは、謝罪の言葉は発せられても、自分の心を真摯に見つめての反省は観られないのが実情です。その原因は、自分が傷つかないように、その自分のくだらない駄目な認識を守ることに、汲々としてしているだけだからです。

 しかしその一方で、追究する側にも問題がないわけではありません。パワハラだという追及の仕方が、そもそも相手をして、防御姿勢を取らせてしまうからです。パワハラというのは現象論に過ぎません。この問題の本質は、そもそも指導者とは何か、がまたく分かっていないところにあります。指導とは、相手を目的に向かって上達させることによって、その目的を達成させることをもって本分とするものです。決して、相手を自分の云う通りにさせることが目的ではありません。そこのところを、栄氏は勘違いしているところが問題の本質です。

 日本ハムの栗山監督は、大リーグを目指す大谷選手を、先ずは日本で二刀流を磨いて、それからメジャーに云った方が良いと説得し、そのとおりに育てて、メジャーに送り出して、大谷選手は見事メジャーで画期的な二刀流での大活躍をすることができました。これが、本当の指導者というものです。

 それと比較して、自分は何とっ心の狭い指導者だったのか、と心から反省するように導くのが、教育者たる学長の務めであるにもかかわらず、彼にはパワーなどない!、自分の学校の卒業生である伊調選手に対しては、選手として認めない、などと発言する大学の学長には、本当にあきれてものが言えません。教育者失格です。